講演会「明治の愛知を支えた江南の豪商五人衆 総集編」 撮影日    03.11.21 = Home =
03.11.21 歴史講演会「明治の愛知を支えた江南の豪商五人衆 総集編」に江南市民文化会館へ出かけた。
まちづくり江南市民会議「人物新発見シリーズ」企画として、語り部 後藤正敏氏が熱く講演された。
後藤正敏氏は、江南市江森町西に在住、尾州商人の研究 文芸誌あるかさ編集長であり、前回に続き、分かりやすくお話をされた。

「明治の愛知を支えた江南の豪商五人衆」とは

@初代瀧兵右衛門
 東野に誕生し古知野に絹物卸商を開業(1751)宝暦元年。明治元年戌辰戦争において、瀧兵右衛門・
 岡谷総助宗治・伊藤次郎座衛門その他により六万両の資金を薩摩藩に提供、現在の日本を確立させる。

A春日井丈衛門
 赤童子出身、太物問屋を(1820)文政三年開業、瀧兵右衛門商法に追随し、幕末は尾張藩財政難の
 ため多額の献金、明治22年名古屋市市議会議員に当選、明治37年貴族院選挙権取得(当時名古屋市
 では9人限)

B祖父江重兵衛
 木賀に生まれる(1765)明治2年瀧兵右衛門に倣い糸屋重兵衛で名古屋に出店、名古屋市市議会議員
 に当選、明治23年名古屋長者番付20傑に入る。

C服部兼三郎(堀尾兼三郎)
 明治3年北野に生まれる、明治18年糸屋重兵衛商店に丁稚奉公に入り修行、大正元年、かねか服部
 商店(株)を立ち上げ、大阪・浜松・和歌山・愛知・上海に事業所を持ち、二千人規模の大企業紡績となる。
 兼三郎には豊田佐吉というブレーンと石田退三(元トヨタ自動車社長)、三輪常次郎(元コーワ社長)という
 愛弟子が常に側近にいた。

D石田養助
 今市場の生まれ、明治26年丹羽郡古知野村本町114番に興益銀行を設立、同29年に古知野銀行と
 改名、楽田・柏森・岩倉・宮田に支店を置き、主な顧客は倉知治右衛門等が指導した丹葉地域の
 養蚕業普及のための資金源であったが、大正3年瀧兵右衛門の名古屋銀行に譲渡、東海銀行となる。
 明治32年愛知県会議員に当選。


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