武 功 夜 話 物 語
江南市の旧家に伝わる古文書 「武功夜話」 の解説書を江南郷土史研究会
の須賀弘之さん(84)飛高町出身が自費出版した。織田信長や豊臣秀吉が
活躍した時代の貴重な史料として知られる「武功夜話」。登場する武将たち
の生きざまを平易な言葉で分かりやすく綴っている。書籍はB5版232ページ
まえがき 「武功夜話」は、戦国時代織田信長・豊臣秀吉が尾張の地をはじめ各地で活躍し、天下人となっていったことを中心に書き留められた前野氏(現江南市前野町、27代吉田龍雲氏)の覚え書きです。当家26代吉田武一は役場の助役でした。生前、自宅土蔵に保存されている、先祖から伝わるおびただしい古い文書を整理しようと気にしていたということですが、先の大戦中から戦後と続く混乱で、物資どころか、紙一枚もない時代、整理もできぬまま、病に冒され、ついに昭和30年秋、心を残しつつ、世を去ってしまいました。生前の日々、書斎の囲炉裏を囲み、祖父から聞いた祖先のこと、古文書のこと、聞き伝えなどを、夜や雨、雪の降る日によく昔話のように家族などに話していたそうです。昭和34年、愛知県地方を襲った伊勢湾台風のため、土蔵の壁が崩れ落ちてしまいました。土蔵内には、数多くの古文書、古書が保存されていたといいます。生前、武一が成し遂げようと堂々といっていましたが、戦後の混乱で、手を付けることができず、年月だけが過ぎていきました。ようやく期を得て、土蔵にこもり調べてみると埃としみにまみれた古文書は何百年も経たものでその内容は、囲炉裏を囲んで武一から聞いた昔話そのものでした。それは「武功夜話」であり、「永禄に州俣城を築いた記録」「前野村の由来記」などでした。さて、「武功夜話」などの古文書は、約400年以前の記録で、当家16代吉田孫四郎雄翟(かつかね)が編集したものです。雄翟は、天正14(1586)年に織田信長の次男、信雄の家臣、小坂助六雄善、妻勢以の長男として、今の江南市前野町に誕生しました。幼少の頃は清須(現清洲町)の総見院に人質のように預けられ恵仙と名乗り、同院闊山禅師に師事し厳しく学問を修めました。慶長五(1600)年、15歳の時、関ヶ原の合戦に父雄善とともに東軍、徳川家康方の福島正則の家来として初陣をしました。同七年父雄善が、清須城松平忠吉の家臣の時、城中で事件を起こし城を退去し、雄翟も総見院より前野村に帰り、還俗して親の跡を継いで庄屋職となりました。明暦4(1658)年、73歳で死去、号恵仙・昌斎。雄翟が「武功夜話」を編纂する動機は親雄善が穏世の日々、古文書を整理して一書となすため、執筆をしていましたが、関ヶ原戦にうけた槍傷が悪化して他界。その後を受け継ぎ、親の代にて永代続いた前野氏の武門、武功が絶えるのを惜しみ、後世に伝えるために筆を起こしたとのことです。「武功夜話を読む会」は、平成14年暮れに総見院を訪れました。門前には二メートル余の御影石粗削りの寺標に時代を感じました。お庫裏さん(寺の奥さん)が忙しくすす払いをしてみえました。「この寺は織田信雄が父信長の菩提樹として創建し、信長の「焼兜」が寄進されています。また、清須城の北の守りを固めたところと言われています」と話されました。私たちは「この寺で吉田雄翟という人が学問を修めた末に「武功夜話」という書物を書き残していますので、お参りをさせていただきました」と、あいさつをして参詣してきました。 (以下、本文は省略します・・・僭越ですが、本書をお読みください) 著者 須賀弘之氏のご紹介 昭和六(1931)年三月二十九日、江南市鹿之子嶋に生まれる |