江南市内に残る巡見街道(古道)編

江戸時代、幕府は将軍が代替わりする度に、地方の政治や民情を視察するため巡見使を派遣しました。
巡見使の通る道は決まっていたため、いつしかその道は、「巡見街道」と呼ばれるようになっていました。
このコースは、犬山を経由して今の江南市域に入り、中般若村(当時)から草井・小・村久野・前飛保
・松竹・島宮・東野の村々を通って一宮へと向かうというもので その途中、前飛保の曼陀羅寺で休憩をと
るのが慣例でした。当時の藩は、巡見使の対応に非常に気を使い、また大行列でやってくる一行の応接
は、地元の人々にも大変な苦労であったようです。
 解    説 写      真
 巡見街道の道標(中般若町)

  
この道標には、
  左 あざい
     一のみや
と書かれている。現状は、本堤防斜面
の大きな草むらの中にあり、この道標
を見つけ探すのに苦労しました
 巡見街道 岩井真澄氏宅前
  (村久野町)

 
 江南市内で巡見街道の名残を一番に
残している場所は、この村久野町上原
地内の岩井真澄氏宅前の景観である。



 撮影  20.12.26
 巡見使の休憩場所・曼陀羅寺
  (前飛保町)

 元徳元(1329)に後醍醐天皇の勅願
時として、創建された尾北地方有数の
古刹です。西山浄土宗に属し、日輪山
と号す。国の重要文化財に指定されて
いる正堂と書院を始め、多数の文化財
を所蔵している。
  正堂は、阿波国主・蜂須賀家政が幼
少時代の縁で寛永9年(1632)に再建
・寄進したものである。

  この寺院内には曼陀羅寺公園があ
り、茶室・東屋・池・ステージなどが配置
されている。春には、2,100uの藤棚
に12種類、約120本の藤が咲き誇り
藤棚に沿うように設けられた回廊の脇
には300株のボタンが訪れる人の心を
和ませてくれる。藤の開花時期に合わ
せて園内で「江南藤まつり」が開催され
毎年、江南の七人の戦国武将行列始め
人気のイベントがいっぱい、市内外から
たくさんの観光客が訪れ、まつり一色の
賑わいを見せてくれる。
 巡見街道のあと碑(島宮町)

 現在の道路は、改修され、昔の面影
はなく、一宮のわかれの道であった。

 巡見街道の道路標識
 (島宮町)


 この標識は、最近の建設である。江南
市と一宮市の境近くにある。