江南散策道(蜂須賀・曼陀羅寺編)

信長・秀吉と関係が深かった蜂須賀小六、生粋の江南人である前野長康のゆかりの地
(一躍、武功夜話で有名)や後醍醐天皇勅願寺・曼陀羅寺を始め、多くの国・県・市指定
の文化財に巡り合うコースを江南駅からスタートして散策します。
順路は、江南駅(スタート)⇒北野天神社⇒歴史民俗資料館⇒常連寺⇒前野家屋敷跡 ⇒
観音寺⇒宮後八幡社⇒蜂須賀屋敷跡(宮後城)⇒音楽寺⇒曼陀羅寺⇒江南駅(ゴール)。
江南駅周辺地図

地図を動かして
見てください
解    説 写     真
江南駅 (スタート)

 
 江南駅は、愛知県江南市古知野町にある名古
屋鉄道犬山線の駅である。「江南」は、「大河」の
木曽川の南にある都市とのことで名付けられた、
江南市の名に由来する。

大正元年(1912)8月6日 古知野駅として開業

昭和56年(1981)11月10日 江南駅と改称


乗車人員 : 12,440人/日(2006年)




 

北野天神社


 学問の神「菅原道真公」を祭神とするこの神社
は、承応3年(1654)に創建されました。
 北野という地名はこの神社から起こったといわ
れている。

 近年になってから始められた「筆まつり」には、
多くの受験生やその家族が進入学祈願をするた
めに訪れる。

 

歴史民俗資料館

 
 江南市内の国・県・市指定文化財の写真や古
墳・遺跡からの出土品、古文書、農具や民具な
ど、各種資料の収集・保存・展示を行っている。
 詳しくお知りになりたい方は、ぜひこの江南市
歴史民俗資料館までお越しください。館長や館員
がとても親切に説明してくれます。現在の館長は
山田信男さんです。

 休館日:第3月曜日(祝日は開館)年末・年始
 
 開館時間:AM9.00〜PM4.30
 
 入館料:無料
 
 電  話:0587−55−2391

 

常蓮寺


 宮後八幡社と同じく、寛永元年(1624)に蜂
須賀家政の寄進によって再建された。

 秘仏とされている本尊は、市指定の文化財で
伝教大師彫刻と伝えられている如意輪観音像
の内部には、別の仏像(胎内仏という)が納め
られている。



 

前野家屋敷跡

 秀吉に仕え、蜂須賀小六と共に活躍した前野
将右衛門を始めとする前野氏一族の屋敷跡で、
現在もその家系は続いている。

 前野将右衛門長康は、前野村で生まれた生
粋の江南人である。蜂須賀小六とは義兄弟の
間柄であり、ともに秀吉に仕えた。墨俣一夜城
築城の際も小六と協力して作戦を成功させ、信
長の岐阜攻めに大きな貢献をした。

 昭和34年(1959)名古屋を襲った伊勢湾台
風で吉田龍雲氏の土蔵が壊れ、その中から祖
先の筆になる「武功夜話」が発見され、墨俣一
夜城築城や吉田家の祖先である前野将右衛門
長康の族に関する記録など、当時のエピソー
ドが明らかになった。

 この「武功夜話」を書いた吉田孫四郎雄かね
は、長康から見て甥の子にあたる。江南市前野
町の吉田家には、前野家に代々伝わる古文書
のほか武具類・書画・服飾品など織豊期以後の
貴重な資料が残っている。

 「武功夜話」について
 伊勢湾台風で蔵中に入水し中が露見された
ため、当時の新聞は「380年ぶりに蔵の中から
発見!」と報道されて、公けになった。
 昭和62年(1987)前野家の子孫である吉田
蒼生雄氏が一部を書き下し刊行したことにより
私共が容易に読むことが可能となり、遠藤周作、
堺屋太一、津本陽といった作家が、長康や信
長、秀吉を主人公とする著作の種本となった。
 「武功夜話」が歴史的に価値があるとかない
とか、専門家の間では意見が分かれているが、
悠久の時を経て発見された原本には少なくとも
オリジナリティがあると私は信じる。まさに歴史
に何ともいえないロマンを感じている。

 

観音寺

 前野氏一族の菩提寺である「観音寺」は寛延
元年(1748)7月に創建され、徳林寺第三世
継山全初和尚を請して開山した。(前野将右衛
門長康の遺髪・遺品野釜を納め菩提とした)

 本尊は、この地方では珍しい三面八坐像観
世音である。

 

宮後八幡社

 蜂須賀家政は小六とともにこの宮後の地に住
んでいたが、その後、秀吉に従って天下平定の
ために働き、四国阿波徳島の大名となった。家
政が老境に達した頃、故郷宮後の地が忘れ難
く、幼少期にこの地に住んだ縁により、八幡社
の本殿・釣殿・拝殿を再建、寄進した。
 
 建築様式は安土桃山時代の面影を残し、貴
重な文化遺産として県の重要指定文化財に指
定されている。

 

蜂須賀屋敷跡(宮後城)

 蜂須賀屋敷は、宮後八幡社の境内を含め、
東西60間、南北80間という広大な屋敷だった
と言われている。

 宮後城は安井氏の居城で、天文13年
(1544)浅野長政は安井氏の子で一宮市の
浅野氏を継いだ。また蜂須賀小六正勝の子・
家政が生まれ、蜂須賀屋敷と云われた。

 小牧長久手の戦いの折、砦として使われたと
考えられており、現在の地図からも当時の地割
を読み取ることが出来る。なお、豊臣秀吉の部
下として活躍した蜂須賀小六正勝と家政の親
子が、世に出る前の一時期をここで過ごしたと
いう。

 蜂須賀小六正勝は、海部郡美和町の土豪の
家に生まれたが、信長の父織田信秀と不仲に
なり、母の在所・江南に移り住んだ。その後、
木曽川川並衆の頭目となり、この地で出会った
秀吉と主従関係を結び、墨俣一夜城築城を始
め数々の重要な作戦を成功させ、信長の岐阜
攻めに大きな貢献をした。

 永禄元年(1558)に生まれの蜂須賀家政は
幼少時には江南市宮後町で育ち、曼陀羅寺の
塔頭・本誓院で手習いを受ける。のち、父小六
と共に秀吉に仕え、天正13年(1585)には阿
波一円17万5700石を賜り、阿波国主になっ
ている。


 

音楽寺

 前身は大乗院と称し、元暦元年(1184)源詠
法師開基の丈六の金仏を安置したと云われ、
平成4年発掘調査を実施、境内より大量の布目
瓦・風招・軒丸瓦・瓦塔・專仏等が発掘され、7
世紀中ごろ(壬申の乱 672年)村国氏の関わ
る寺と云われている。

 円空仏を所蔵することで知られる寺院でもある。
音楽寺に伝わり市の文化財となっている円空仏
は、延宝4年(1676)頃、円空がこの寺に立ち
寄り寄進したもので、全部で16体ある。薬師如
来・日光・月光菩薩・十二神将など、いずれも円
空壮年時代の傑作と云われている。。また境内
地一帯は7世紀ごろの古代寺院の遺跡で、当時
の瓦などが出土している。

 毎年6月には境内で「あじさい祭り」が開催され、
約40種1,200株の色とりどりのあじさいが所
狭しと咲き誇り、来訪者の目を楽しませている。

 境内の村国の郷歴史資料館では、「円空仏」
「木造薬師如来座像」「熱田社の宝剣」などが展
示されている。「あじさいまつり」期間中の土・日
曜日は、有料(200円)で拝観できる。

 







曼陀羅寺

 元徳元(1329)に後醍醐天皇の勅願時として
創建された尾北地方有数の古刹です。西山浄土
宗に属し、日輪山と号す。通称「飛保の曼陀羅」
と呼ばれている。国の重要文化財に指定されて
いる正堂と書院を始め、多数の文化財を所蔵し
ている。

  正堂は、阿波国主・蜂須賀家政が幼少時代
に本寺塔頭本誓院で並んだ縁により、寛永9年
(1632)に再建・寄進したものである。

  
この寺院内には曼陀羅寺公園があり、茶室
・東屋・池・ステージなどが配置されている。春に
は2,100uの藤棚に12種類、約120本の藤
が咲き誇り、藤棚に沿うように設けられた回廊
の脇には300株のボタンが訪れる人の心を和
ませてくれる。毎年、藤の開花時期に合わせて
園内で「江南藤まつり」が開催され、近隣はもと
より県外からもたくさんの観光客が訪れ、まつり
一色のにぎあいを見せる。「曼陀羅寺の藤」とし
て大変有名である。


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