私たちの郷土「江南市」は、昭和29年6月、丹羽郡古知野町・同布袋町・葉栗郡宮田町・同草井村が合併して誕生しました。当初の人口は、四万三千七百余人で、現在の人口の半分以下でした。 この尾北地方では、明治時代から養蚕などが盛んになり、絹織物産業が行われるようになりました。 戦後、化学繊維の時代を迎え、大手繊維工場の進出があったため、地元では、高級カーテンなど室内装飾織物の生産に転じ、そのデザイン・品質は現在も全国から高い評価を得ております。 近年は、江南団地の建設や工場跡地への大型店舗の出店なと゜があり、人口も10万人を超え、平成16年には 50周年を迎えました。そして、現在、「水と緑と歴史の街」として、益々発展をしています。 昭和34年に愛知県地方を襲った未曾有の伊勢湾台風の時、江南市前野町の旧家吉田龍雲家の古土蔵が損壊して、多くの収蔵品と共に古文書「武功夜話」が発見され、江南が織田信長・豊臣秀吉を育み、また活躍の舞台であったことが分かってきました。 今回、その戦国時代に活躍した江南市出身の七人の戦国武将の足跡を辿り、歴史を振り返ってみたいと存じます。 江南市出身の七人の戦国武将とは、次の七人であります。 @浅野長政 A蜂須賀家政 B前野将右衛門長康 C生駒利豊 D生駒親正(ちかまさ) E織田信忠 F織田信雄(のぶかつ) 江南郷土史研究会展示資料による。 以下の写真画像は、平成22年4月29日(祝)江南市の曼陀羅寺公園で「江南市縁の七人の戦国武将行列」があり、私が展示写真パネルから直接撮影したものであります。 |
@浅野長政(あさのながまさ) 天文13年(1544)出生・丹羽郡宮後村宮後城(蜂須賀屋敷) 現在の江南市宮後町 幼名・長吉、弥兵衛、彈正小粥、従五位下、追賜従三位 「文禄二年甲斐国 22万5千石」賜う。 慶長16年(1611) 67歳 逝去 |
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A蜂須賀家政(はちすかいえまさ) 永禄元年(1558)出生・丹羽郡宮後村宮後城(蜂須賀屋敷) 現在の江南市宮後町 幼名・小六、彦右衛門、遘庵、従五位下阿波守 「徳島藩祖 25万石」賜う。 寛永15年(1638) 81歳 逝去 |
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B前野将右衛門長康(まえのしょうえもんながやす) 大永8年(1528)出生・丹羽郡前野村 現在の江南市前野町 幼名・小太郎、小右衛門、勝右衛門、将右衛門、従五位下 「豊臣秀次後見役」「但馬守出石城主 10万5千石」賜う。 文禄4年(1595) 68歳 逝去 |
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C生駒利豊(いこまとしとよ) 天正3年(1575)出生・丹羽郡小折村小折城(生駒屋敷) 現在の江南市小折町 幼名・蜂須賀五郎八、家直、長知、利豊、隼人正、大炊佐因幡守、従五位下 秀吉より「小折村千5百石、後4千石」賜う。 寛文10年(1670) 96歳 逝去 (写真・生駒15代周行) |
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D生駒親正(いこまちかまさ) 大永6年(1526)出生・丹羽郡小折村小折城(生駒屋敷) 現在の江南市小折町 幼名・近正、正成、甚助、七郎左衛門、従五位下 「雅楽頭親正初代高松城主 17万石」賜う。 慶長8年(1603) 78歳 逝去 |
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E織田信忠(おだのぶただ) 弘治3年(1557)出生・丹羽郡小折村小折城(生駒屋敷) 現在の江南市小折町 幼名・奇妙丸、菅九郎、秋田城介 「従三位左近衛中将 岐阜城主」賜う。 天正10年(1582) 26歳 逝去 |
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F織田信雄(おだのぶかつ) 永禄元年(1558)出生・丹羽郡小折村小折城(生駒屋敷) 現在の江南市小折町 幼名・茶筅丸、伊勢北畠具房養子具豊、信意、信雄、侍従中将、中納言内大臣 「正二位清洲城主 百万石」賜う。 寛永7年(1630) 72歳 逝去 |
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