竹島を開いた恩人・滝信四郎と蒲郡 撮影日    02.2.10、26 = Home =

 令和2年2月10日 江南市の偉人・滝兵(現タキヒヨー)の5代目滝信四郎の功績を求めて、江南郷土史研究会と同歴史勉強会の有志8名で初めて蒲郡クラシックホテル(歴史を探る会)・蒲郡市役所鈴木市長を表敬訪問し、今後の江南市と蒲郡市の連携・民間交流、歴史文化財の保存等に向けて、いろいろと意見交換をしてきました。

 同年2月26日 澤田江南市長に蒲郡視察を報告すると共に今後の交流のあり方について、率直な意見交換をしました。

滝兵(現タキヒヨー)の5代目滝信四郎(1868-1938
 名古屋で絹商を営んでいた滝家四代目の四男として、現在の江南市東野町で生まれた。大正元年(1912)に先代から受け継いだ「滝兵右衛門商店」を「株式会社滝兵商店」と改め、繊維の他に滝実業高等学校・農場などの多角経営を行った。滝信四郎による料理旅館「常磐館」もその一例である。滝家は蒲郡の竹島海岸に別荘を持っていた。静養のために蒲郡を訪れた滝信四郎は、この地に料理旅館を開業することを思い立ち、隣接する数千坪の土地を購入して「常磐館」を建てた。

 その後、竹島橋・蒲郡ホテル・共楽館・竹島館・子安弘法大師像などの建設に多額の私財を投じ、府相青年会の運営費を助成するなど、後半生を蒲郡の観光に尽くした。料理旅館「常磐館」からの眺めは格別なもので、大正・昭和期にわたり多くの文人たちに愛されました。 大正11年、菊池寛の作品「火華」に初めて常磐館が取り上げられた後、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖など文人たちにより、常磐館そして蒲郡の海や竹島の素朴な美しさが作品の中に描写されました。以来、「蒲郡の常磐館」は、全国にその名をとどろかせました。 

滝信四郎 蒲郡での功績
・1912
年(明治 45年)725日 - 繊維問屋滝兵(現タキヒヨー)の五代目、滝信四郎が料理旅館・常磐館を創業。総支配人は三村三時氏。

・1932年(昭和7年)1223日 - 常磐館に併設される形にて、元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で、大林組によって着工。

・1933年(昭和8年)滝信四郎によって大衆娯楽場「共楽館」が建設・営業。

1934年(昭和9年)2 - 蒲郡ホテルとして竣工。鉄道省(当時)認定の国際観光旅館として開業。総支配人は三村三時氏。

・1934年(昭和9年)11月 - 日米野球の名古屋での試合時にアメリカチーム(ベーブルースらMLB選抜選手)が宿泊。日本チームは常磐館に宿泊。

1937年(昭和12年)7 - 竹島海岸に大衆旅館「竹島館」を新築し、蒲郡町へ寄付。滝信四郎個人にて「子安弘法大師像」を完成、設計・村瀬国之、施工・鬼頭三郎で、その後三谷町に寄進。

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